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Holy,Holiday   麻績


「ずっと、ずっと、こうしていられたらいいのに、ね」

叶うことの決してない望みなのだと知っていて、シルヴィアはそれを吐息に乗せて吐き出した。
吐息は思いの外大きな声音となって、数歩先を歩いていたアポロの脚を止める。
距離のできた二人の間を、色づいた木の葉が一枚、風に乗って舞った。

秋も深まり肌寒くなった季節に、気まぐれに訪れた小春日和だった。いつもより高い蒼穹から注ぐ太陽の光は柔らかく、木枯らしに穏やかな温もりを与えて、散歩をするには絶好の日だ。ここ数日、堕天翅による人間狩りは形を潜め、世界は束の間の平和を享受している。アポロやシルヴィアたちエレメント候補生にも、珍しく凪いだ日々が訪れていた。
そう、日々の安らぎすら、今この時代においてはすでに人類の手を離れ、すべては堕天翅から『与えられる』ものとなってしまった。併せて続く天災によってこのまま緩慢な滅びを待つだけの世界に、果たして生きている意味はあるのか…人類が諦めかけたそのとき、子どもたちは生まれる。その身に稀なる力と、人類の期待を背負って、彼らは古からの天翅の記憶の息づく土地に集った。世界を、人類を、堕天翅の脅威から守るために。
しかし彼らとて、まだ十代の少年少女だった。自分の夢を、そこへ連なるすべての明日を、未来を、ただ世界と人類のために消費していく日々は、彼らにすら諦観を植え付けたのかもしれない。
真の望みは叶わない。
羽ばたく翼は得られない。
掲げる正義と使命に覆い隠されて、それらは普段彼らに意識されることはなかったけれど、他の者より早くから、それこそ生まれた時から一族の中の選ばれた姫として人類の救済を期待され、また同じような境遇の兄より割り切った考え方のできないシルヴィアは、その秘められた感情の尾に指先が触れることがあった。疲れていた、のかもしれない。自分の物ではない過去の記憶と、積み重なっていく戦いの日々に振り回されることに。
何も起こらない日。平和な日。それは人類にとって心安まる休日に他ならなかったが、シルヴィアにとっては思考に精神を蝕まれる忌み日であった。そう感じてしまうことが、余計に彼女を『人間』と隔ててしまう。それならば、人類のために、という大義名分の下でアクエリオンを駆り、戦場で『敵』である堕天翅と戦っていた方がずっといい。
休日を休日として満喫できない彼女の心は、いつまでも凪ぐことがない。
 
アポロがシルヴィアを振り返る。頭上に茂る常緑の枝を通って降り注ぐ陽光が、赤い髪を朱色に透かしていて、それがとても綺麗だと、シルヴィアは思った。
しばらく無言で見詰め合っていると、アポロは羽織っていたモスグリーンの外套の袷から、す、とシルヴィアのほうへ腕を伸ばした。年齢の割りに節のしっかりした、大きな手。細かな傷が無数にあるのは、この少年が一日の大半を森の中で過ごし、時に四つ足で地面を駆けているからだ。
兄やピエールといった自分の周囲の男性が持たないその逞しさを、シルヴィアがぼぅ、と眺めていると、アポロはぼそりと、小さく、呟いた。

「連れ出して、やろうか」

アポロの振るわせた空気が耳に届いたその瞬間、ぼんやりとしたシルヴィアの頭の中に次々と、イメージが浮かんだ。
瑞々しく花の咲き乱れた草原
きらきら太陽光を反射して輝く海
木枯らしの良く似合う古い街並み
雪原を窓の向こうに眺める暖炉端
浮かんでは消えるビジョン、そのどれもに、自分とアポロが寄り添っている。手を繋いで、肩先を触れ合わせて、笑いながら並んで立っている。
ただ、その限りない幸せを具現したイメージは、すべてが膜を一枚隔てたように、どれも朧げで曖昧なのだった。
イメージの嵐が去った後、なんの躊躇いもなく差し出された手を前に、シルヴィアはただ俯いて、その手を見詰めることしかできなかった。実際に自分の目の前に差し出されているはずのその手すら、霞んで見えた。自分とアポロの間にも、薄い、ごく薄い、透明な膜が、ある。なぜならアポロは、彼だけは、このディーバ基地に身を寄せる少年少女の中で異質な存在だからだ。
アポロは自ら望んでここに来たわけではない。世界を、人類を救うとか、大それた使命感や志を持つわけでもない。
彼はただ、自分の大切なものを取り戻すため、守るために、ここにいることを決めた。
根本的なものの考え方が違うのだ。むしろ、彼のほうが必死なのかもしれない。だから、彼にはきっと見えているに違いなかった。シルヴィアたちエレメント候補生として新国連に召集された少年少女の、心の内が。
その歪みが。
絶望にも似た諦観が。
それを判っているから、アポロはこうしてシルヴィアに手を差し出しているのだ。
自分が、なにもかも投げ出す、その理由になってやってもいい、と。
だがシルヴィアは、ゆっくり、首を横に振った。それから、顔を上げて、自分をじっと見詰めていたアポロに視線を合わせ、笑ってみせる。

「次は、いつ、こんな風に散歩ができるかしら」

もし今アポロの手を取り、ともにディーバを出奔したとして、しかし沸きあがったイメージのような安息も、幸せも、温もりも、シルヴィアはきっと感じることができないだろう。
矜持、誇り、プライド、そしてその左腕に宿る秘密。
そのどれも、シルヴィアは捨てられない。たとえ課せられた期待に、使命に耐え切れなくなったとしても、自分が自分であるために、シルヴィアは逃げるわけにはいかないのだ。
そんなシルヴィアの笑顔を前に、アポロは一瞬眉をしかめ、それでも何も言わなかった。はぁ、と大きく息を吐き、苦笑しながら肩をすくめて見せて、それから差し出していた手を伸ばすと、シルヴィアの薄桃色の外套の袷に突っ込む。探りあてたシルヴィアの左手をそれより大きく温かな手で握って、ぐいと引っ張ると、宿舎の方へ戻る道を大股で歩き出した。
小走りになりながら後を追うシルヴィアの耳に、小さく、優しい囁きが届く。
 
「だったら、ずっと手を引いててやるよ。お前が疲れて歩みを止めないように」

心が凪がないのなら、せめてそこに吹く風が、今日のように穏やかな温もりを持っていればいい。
繋いだ手の暖かさが、左手を伝って、胸をほんのり暖めた。胸がするりと和いだ心地に、シルヴィアの仄かに紅く染まった頬を涙が伝った。
 
 
叶うことの決してない望みなのだと知っていて、彼女はそれを吐息に乗せて吐き出した。
しかしその無益な独り言を、ぶっきらぼうに、けれど優しく受け止めてくれる人がいるのならば、叶うことのないその望みを叶えるために、少なくとも次の休息日までは歩いていけるかもしれないと、シルヴィアは静かに泣きながら、思った。



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